力偕楽園コラム

第5回:七面焼のこと

偕楽園で焼物が作られていたことをご存じでしたか?

水戸藩の9代藩主徳川斉昭公が天保4年(1833年)に藩民のことなどを思い、水戸の城東・下町の瓦屋(かわらや)に窯を作ったのが最初。

その後、天保9年(1838年)に神崎七面堂の下、常磐神社入口階段中頃の南斜面に、瓦谷の製陶所も移し、連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)を備えた七面製陶所を設置し、ここで明治4年(1871年)頃まで生産していました。この七面製陶所で生産された焼物を七面焼と呼んでいます。

常磐神社石段を登る途中の右側に、「製陶所跡地」の石標があります。
出土品から、七面製陶所では半磁器質のものが多く焼かれていたようです。


出土した七面焼

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